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東日本大震災
日時: 2011/03/12 10:51
名前: りり

閲覧の皆様、被害はなかったですか?

職場では、金魚槽の水が揺れてかなりこぼれました。

通勤の足は、深夜まで復旧せず、私は、なんとか拾ったタクシーで帰りました。
そのあと、帰宅の足がない方を送るため、車で出直しましたが、送ったはいいけど、帰りは大変な渋滞で、30分のところ、3時間も掛かってしまいました。
未明の3時、4時まで、幹線道路を歩いている方がたくさんいました。

鉄道は全部ダメだったので、タクシーに乗る前は、2時間くらいバスを待っていたのですが、まったくパスも来なくて…

まだまだ東京でも、交通は完全復旧ではなく、一部不通、特急中止などが続いています。

昨日が金曜日だったので、2日、猶予があり不幸中の幸いでした。

渦中にいて感じたのは、ま、東北地方では必死な状態でしょうが、都内では、不便ながらも、冷静に落ち着いてみんなで助け合おうという雰囲気があり、日本の良さかなーとも思いました。

寒風吹きすさぶバス停で、ホッカイロを並んでいる人達に配っているおばさんとか、「バス停まで遠くから歩いてきた、ここは、どういう状況か」と、知り合いかどうかの区別もなく、自然と情報交換し合っていました。

深夜に歩いている方々も、疲れた様子もなく、颯爽としていて、安穏とした生活の中、一時のスリルというか、困難を乗り越える高揚感で生き生きと見えました。

カップルやグループで歩く方々も、励まし合い助け合い、どこか明るい表情で、人と人の絆の深まりがあったように思います。

うちの留守宅でも、普段、特に行き来していない、隣室の奥様が、地震のすぐ後、うちの母が大丈夫だったかと声をかけに来てくれたそうです。ありがたいですね。

岩手の親戚と電話もメールも通じないのが心配です。

今また、ちょっとした揺れがありました。一時間に、数回は揺れを感じます。
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Re: 東日本大震災 ( No.35 )
日時: 2011/10/10 09:26
名前: りり

こちらでも書いたのですが
http://todos.xsrv.jp/2patiosec/todos.cgi?no=20

放射能汚染におびえる日本人の心理を利用してのメール攻撃

心を穏やかにしたいですが、国際犯罪ですよね。

今度は、政治的なんとかとかせずに、厳正に対応して欲しいものと思います。
メンテ
釜石の"奇跡"  ( No.36 )
日時: 2012/09/08 15:49
名前: りり

一週間前には、見損なっていたのですが
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0901/

釜石の"奇跡" いのちを守る 特別授業

再放送がもうすぐ始まります。

東日本大震災後、各地で「防災」への意識が高まる中、あの震災の“貴重な体験”として語り継がれている子どもたちがいる。184人の児童全員が自力で巨大津波を生き延びた、岩手県の釜石小学校。大人顔負けの「判断力」や「想像力」で危機を乗り切った子どもたちの体験は、防災の視点だけでなく「危機対応」のモデルケースとして国内外で注目を集め、“釜石の奇跡”とも呼ばれている。今回その“奇跡”をアニメーションと実写で詳細に再現。子どもたちの驚くべき避難行動を親しみやすい、演出で伝える。また、釜石市の防災アドバイザーを務める群馬大学の片田敏孝教授をスタジオに迎え、親世代・子ども世代のタレントが「教室風」のスタジオで“奇跡”に学びながら「防災」を考えていく。「防災の日」、親子で気軽にでもちょっと深く考える場としたい。


電右衛門さん直伝のお孫様たちも、これくらいの「判断力」や「想像力」が期待できるのでは?
メンテ
Re: 東日本大震災 ( No.37 )
日時: 2012/09/09 05:42
名前: りり

釜石の"奇跡" いのちを守る 特別授業

を観ましたら、小学生の子どもが、親や祖父母に必死で、高台に上がるよう説得した事例が多いんですね。

想定外のところまで津波が来たんですが、大人は「ここは大丈夫」と高をくくったりしていて…

子ども達に、学校での避難訓練や、日常での確認が身についていたことが、命を救ったとも言えますが、想定外だったので、何か、子どもの超能力というか、普段以上の大変な事だという直感が働いたようにも感じました。

この釜石の奇跡は、いろいろな場面で大事な要素が有ると言うことで、世界的に注目されているようですね。
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Re: 東日本大震災 ( No.38 )
日時: 2015/01/02 17:01
名前: MIKI

1995年1月17日から20年まであと半月
1994年1月17日にノースリッジ地震が起こってからちょうど一年後でした。

ノースリッジ地震で高速道路が倒壊しましたが、日本では高速道路の倒壊は起こらないと言われていました。
でも倒壊してしまいました。
神戸新聞社の震災から20年の特集です。

http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/
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Re: 東日本大震災 ( No.39 )
日時: 2015/01/02 19:42
名前: りり

まあ!同じ1月17日だったんですかっ!

ノースリッジ地震は、行政の対応が素晴らしかったようですね。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007152479
>日米両国の社会情勢等の相違を加味しても、ノースリッジ地震後の緊急対応の素速さには我が国も見習う点が多々ある。
それらは、被害状況の早期把握に帰結できる。
(1)上空で常に警備にあたっているヘリコプターには地震時に被害状況をチェックすべき施設等のリストが用意されていた
(2)被害を把握すべき重要施設が事前に指定されていた
(3)地上からの被害概況把握のための体制が整えられていた
このような事前準備が発震後約2時間半で被災地近傍に現地対策本部を開設したことにつながっている。
さらに、その後の復旧対策には、地震後約2週間で被災建築物の応急危険度判定結果をGIS:地理情報システムによって図示し、かつ、その情報を緊急対応機関が自由にアクセスできること等が大きく貢献した。
また、災害申請センターの被災地域での展開,迅速な被災者向けマニュアルの作成・配付、および、物的なものから非物的までをカヴァーしている多面的な被災者救済策等は、我が国でも早急に導入を因っていくべき対応策である

日本人被災者様もブログで書いています。
http://www.ncm2.com/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%8B%E3%82%8920%E5%B9%B4%E3%81%8C%E7%B5%8C%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F/
>この時のアメリカ合衆国政府の迅速な行動と、被災した一般市民に対するケアが素晴らしかった事を、今でもはっきり覚えています。

日本は、地震の多い国なのに、阪神大震災の教訓が、東日本大震災で活かされていたとは言えなかったかもしれませんね。

まあ、私もそうですが、日本人は、基本楽観的、アメリカは、徴兵もあるし、戦闘態勢と向き合ってきただけに、危機管理意識が優れているのかも?
メンテ

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